STORY

第一章

旅の始まり

書物を探す絵師見習いと、札を探す巫女見習い。
二人の旅が、富士山のふもとから始まる。

第一章「旅の始まり」

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背景

富士山の北のふもと。

絵師見習いの少年は、大きな鳥居の前で立ち止まっていた。

金鳥居かなどりい。

むかしから、富士山へ向かう人たちがくぐってきた鳥居だ。

少年は背中の荷物を確かめた。着替えに食べ物、それから筆と、小さな絵巻。

絵巻は、まだほとんど真っ白だった。

「本当に、見つかるのかな」

少年が探しているのは、一冊の書物だった。

ずっとむかし、「想いの伝い手」と呼ばれた巫女がいたという。

その巫女は富士山のまわりを歩き、人々から聞いた話を書物に残した。

ところが長い年月のうちに、書物はばらばらになり、どこへ行ったのか分からなくなってしまった。

少年が知っているのは、ここから旅を始めた者がいた、ということだけだった。

「まあ、行けば何か分かるか」

考えるより先に歩く。

それが少年のくせだった。

金鳥居をくぐった、そのとき。

ふわり。

風が吹いた。

季節外れの桜の花びらが、一枚だけ少年の前を横切った。

「桜?」

少年が振り返る。

けれど、近くに桜の木は見当たらない。

花びらは富士山の方へ流れ、そのまま光の中へ消えた。

「……まあ、いいか」

少年は前を向いた。

そのずっと先。

富士山は、何も言わずにそこにあった。

ふわり。

もう一度、風が吹いた。

少年の笠が飛ばされそうになり、あわてて両手で押さえる。

「うわっ!」

金鳥居の前で笠を押さえる絵師見習いと、空から降りてくる女天狗

顔を上げると、黒い影が空から降りてきた。

女天狗
案内役女天狗

大きな黒い翼。

手には、紅葉の形をした羽団扇はうちわ。

少女のように見えるが、人ではない。

「遅いですよ」

「え?」

「旅に出るんでしょう?」

「なんで知ってるんだ?」

黒い翼の少女は答えず、にっこり笑った。

「ほらほら。急がないと日が暮れますよ」

「ちょっと待てよ。だれなんだよ!」

「女天狗です」

「それは見れば、なんとなく分かる!」

女天狗は楽しそうに笑うと、先に歩き出した。

少年は迷った。

知らない天狗について行っていいものだろうか。

しかし、ほかに手がかりはない。

「待ってくれよ!」

少年はそのあとを追った。

二人が北口本宮冨士浅間神社きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃへ着くと、参道に一人の少女が立っていた。

白い小袖に赤い袴はかま。

手には、白い紙をつけた棒を持っている。

巫女見習い
巫女見習い

巫女見習いだった。

少年と少女の目が合った。

「あっ!」

二人が同時に声を上げる。

「なんであなたがここにいるの?」

「それ、こっちのセリフだよ!」

二人は同じ村で育っていた。

そして、同じ日に旅に出た。

ただし、目的は違う。

少年が探しているのは、なくなった書物。

巫女見習いが探しているのは、古い札だった。

むかし、富士山が大きな力を見せるたび、人々は山に祈った。

その祈りをこめた札が、富士山をまつる場所に残されているという。

巫女見習いには、それを探す役目があった。

「わたしは遊びに来たんじゃないの」

「僕だってそうだよ」

「どうだか」

「なんだよ」

また言い合いが始まった。

女天狗は二人の間に、ひょいと羽団扇を差し入れた。

「ちょうどいいじゃないですか」

「何が?」

二人が同時に聞く。

「二人で巡ればいいんですよ」

「いやだ」

「いやよ」

また声がそろった。

女天狗は笑った。

「仲がいいですねえ」

「よくない!」

三度目だった。

北口本宮冨士浅間神社の参道で言い合う絵師見習いと巫女見習い、笑う女天狗

三人の旅が始まった。

新倉山浅間公園あらくらやませんげんこうえんでは、五重塔の向こうに大きな富士山が見えた。

少年は夢中で筆を走らせた。

「すごいな……」

巫女見習いも、しばらく何も言わずに眺めていた。

「でしょう?」

なぜか女天狗が得意そうに胸を張った。

「自分の山みたいに言うなよ」

「だいたい、うちの山みたいなものです」

「えっ?」

「さあ、次へ行きましょう」

女天狗はそれ以上、教えてくれなかった。

忍野八海おしのはっかいでは、巫女見習いが澄んだ水をのぞきこんだ。

底まで見えそうなほど、きれいな水だった。

「冷たい!」

水に指をつけた少年が声を上げる。

「当たり前でしょう」

「触ってみろよ」

「いやよ」

そう言いながら、巫女見習いもそっと指を入れた。

「……冷たい」

「ほら」

二人の後ろで、女天狗がくすくす笑っていた。

そのときだった。

巫女見習いが急に顔を上げた。

「待って」

「どうした?」

少女は近くの小さな社へ目を向けた。

「何か……感じる」

三人は忍草浅間神社しぼくさせんげんじんじゃへ向かった。

巫女見習いは社の前に立ち、静かに目を閉じた。

しばらくして、首をかしげる。

「札?」

少年が聞いた。

「分からない。でも、たしかに何かある。ずっと昔に、だれかがここで祈ったような……」

「祈ったことなんて、分かるの?」

「分からないから困ってるの!」

「なんで怒るんだよ」

女天狗だけが、何も言わなかった。

忍野を離れてしばらくすると、道が二つに分かれた。

片方は林の奥へ。

もう片方は、細い山道を登っている。

「どっち?」

巫女見習いが女天狗を見る。

女天狗は、なぜか答えなかった。

「今日は自分たちで決めてみたらどうです?」

「急に?」

「旅人でしょう?」

絵師見習いは腕を組んだ。

どちらの道にも目印はない。

巫女見習いも首をかしげる。

「こっち……かな」

「いや、こっちだろ」

「根拠は?」

「なんとなく」

「それを根拠って言わないの」

二人が言い合っていると、道の脇に小さな石地蔵があるのに気づいた。

いつからそこにあったのか。

お地蔵さん
癒しの神お地蔵さん

苔のついた古い地蔵だった。

左の肩が、ほんの少し欠けている。

「こんなの、さっきあった?」

「知らない」

夕方の光が木の間から差しこんだ。

ちょうどそのときだった。

細い一筋の光が、石地蔵の前を通り、片方の道だけを明るくした。

「……こっち?」

巫女見習いが言う。

「地蔵が教えてるみたいだな」

「まさか」

女天狗を見る。

女天狗は、にこにこしているだけだった。

三人は明るくなった道を進んだ。

しばらくすると、遠くに峠へ続く道が見えた。

絵師見習いは振り返った。

だが、木々の向こうに石地蔵はもう見えなかった。

「どうしました?」

「いや……なんでもない」

少年は首をひねりながら、二人を追った。

二十曲峠にじゅうまがりとうげへ向かう途中。

道の真ん中に、大きな石が並んでいた。

「なんだ、これ?」

少年が近づく。

茂みの中から、三つの頭がのぞいた。

河童。

狸。

河童・狸・鬼の子
お邪魔三人組河童・狸・鬼の子

そして、小さな鬼。

「来たぞ」

「来たな」

「今だ!」

三人が飛び出した。

「ここから先へは行かせないぞ!」

鬼の子が胸を張る。

「どうして?」

巫女見習いが聞いた。

三人は顔を見合わせた。

「……どうしてだ?」

河童が聞く。

「おまえが言い出したんだろ」

狸が答える。

「と、とにかくダメなんだ!」

鬼の子が叫んだ。

河童がさらに石を運ぼうとして――自分たちが置いた石につまずいた。

「いてっ!」

それを見て狸が大笑いする。

笑いすぎて、頭に乗せていた葉っぱが落ちた。

「葉っぱ落ちたぞ」

少年が拾って渡す。

「あ、どうも」

「おまえ、敵だろ!」

鬼の子が怒鳴った。

巫女見習いは笑いをこらえきれなくなった。

少年も笑った。

女天狗だけは腕を組んで、ため息をついた。

「相変わらずですねえ」

「知り合いなの?」

「まあ、そんなところです」

結局、三人組は道をふさぐことにも失敗した。

「次は絶対に邪魔してやるからな!」

鬼の子の声を背中で聞きながら、三人は峠へ向かった。

二十曲峠に着いたころには、日が傾き始めていた。

眼下に町が広がり、その向こうに富士山がそびえている。

少年は座りこむと、絵巻を広げた。

今日見たものを描いていく。

金鳥居。

長い参道。

五重塔。

忍野の水。

そして、富士山。

「よくそんなに描けるわね」

巫女見習いが横からのぞく。

「忘れたくないから」

少年は筆を動かしたまま答えた。

「見たものも、聞いた話も。描いておけば残るだろ」

巫女見習いは何も言わなかった。

少し離れたところで、女天狗が二人を見ていた。

やがて日が暮れた。

その夜。

たき火のそばで、少年はもう一度、絵巻を広げた。

「……あれ?」

描いた覚えのない線があった。

紙のすみに、細い墨の線が浮かんでいる。

「どうしたの?」

巫女見習いが隣に座った。

「これ、僕が描いたんじゃない」

二人で目をこらす。

人の姿のようだった。

まだ顔も分からない。

着ているものも分からない。

けれど、そこにだれかが立っている。

「女天狗さん!」

二人が振り返る。

女天狗は、たき火の向こうに座っていた。

いつもの笑顔はなかった。

「それが、あなたの探しているものかもしれませんね」

少年は絵巻を見る。

「想いの伝い手……?」

その言葉を聞いた瞬間。

巫女見習いが立ち上がった。

「待って」

胸元にしまっていた小さな紙が、かすかに震えている。

札を探すため、神社から持ってきたものだった。

「どうした?」

「これも……反応してる」

たき火のそばで絵巻をのぞきこむ二人と、震える札。奥に女天狗

絵巻に現れた人影。

震える紙。

少年と巫女見習いは顔を見合わせた。

なくなった書物。

富士山に残された札。

まったく別のものを探していたはずだった。

それなのに――。

女天狗が、たき火に小枝を一本くべた。

ぱちん、と火の粉が舞う。

「どうやら二人の旅は、思っていたより近いところを通っているようですね」

少年はもう一度、絵巻を見た。

紙の中の人影は、もう動かなかった。

けれど確かに、そこにいる。

旅は、まだ始まったばかりだった。

第一章 了

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第二章

二つの記憶

書物に残された記憶と、札にこめられた祈り。二人は旅の中で、そのつながりに気づき始める。

10/13 配信予定

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